私たちの考え

ミス&ミスターコンテストに対する抗議声明                         2020年10月25日

1.私たちがミス&ミスターコンテストに反対する理由

ミス&ミスターコンテストは、果たして何のコンテストなのでしょうか。何を「競い」、誰が「グランプリにふさわしい人」とされるのでしょうか。ミス&ミスターコンテストは、学生を「ミス」と「ミスター」の2つにわけ、それぞれの「一番」、つまり「理想的な女性・男性」を決める企画です。この過程で候補者の容姿や振る舞いは、「かっこいい」「かわいい」「家庭的」「紳士的」といったように、ジェンダー規範というフィルターを通して評価されます。形式的には、「個性や多様性を評価する」と主張しながらも、このような「理想像」に誰が適合しているかを競わせます。そうした過程に私たちはしんどさを感じ、コンテストがなくなって欲しいと思っています。

容姿は私たちの日常において、 奇妙なほどに重要です。私たちは、他人から実に様々な評価を受けるし、無意識のうちに他人の容姿に対して同様の評価を下します。特に女性は、容姿や振る舞いによって評価されることが圧倒的に多いです。本来はその人のものである容姿や人格が、男性との関係の中で、まるで男性のための物であるかのように評価されます。これは、現在社会の中で男性とされる人たちが圧倒的に力を持っており、それによってより力を持たない女性を、自分たちにとって都合の良い枠組みに押し込めることができてしまうからです。

 このように私たちは、いわば「コンテスト的な行為」を日常的に行っています。そうした、日常の小さなコンテストを積み重ねた「決勝戦」にミス&ミスターコンテストはあります。参加したい人が自由に開催しているコンテストではありません。強制的に参加させられた「予選」で、容姿や振る舞いに対して勝手に評価を下し、誰が決めたのかもわかない「かわいい」、「かっこいい」という枠組みに当てはまらなかった無数の人々を傷つけ、無視した上で成り立っているコンテストです。そのため、大学で行われるミス&ミスターコンテストの当事者はコンテストに出る人や、投票する人、主催する人だけではありません。日常の小さなミスコン、ミスターコンに参加している私たち全てに「決勝戦」、そして容姿が奇妙なほど重要性を持つ日常に対して反対する権利があります。

2.最近のミス&ミスターコンテストについて

コンテストに対する批判を受けて2020年にはミス・ミスターコンテストに代る新しいコンテスト形式や、外見の評価だけに依存しないコンテストが開催されています。例えば、上智大学で開催されている「Sophian's Contest(ソフィアンズコンテスト)」では、ミス・ミスターの称号を無くし、「自身の魅力と社会課題を発信するインフルエンサー」としての活躍を競っているとのことです 。「自己PR部門」、「スピーチ部門」、「SDGs部門」の3つが評価基準となっています。しかし、これはコンテストが持つ問題点を本当に回避できているのでしょうか?

 まず、SDGs部門は「SNS上で自身の問題意識に沿った社会発信を行う部門」と書いてありますが、社会問題との関わり方には色々な方法があります。SNSで発信するのも一つですが、どうすれば所属しているコミュニティが全ての人にとってより安全な場になるかを話し合うことや、ミス&ミスターコンテストに抗議することも社会問題と関わるという事です。形は様々であるからこそ、コンテストの判断基準として用いられるべきではないと思います。

 次に、コンテストは大学の「代表」を決めるという形で行われます。つまり、コンテスト形式を取ることで、大学内で最も望ましい人間像を決めるという意味を持つことにもなります。そもそも、どの様な人が優れているのかを投票で決めるのかという過程に、暴力的な規範の押しつけが含まれています。

 さらに、「外見だけではない」という主張を目にしますが、「外見」が一ミリでも評価基準に入っている事が問題です。私たちの社会は、日常的に他人の容姿を見て無意識に価値判断を下しています。「外見だけを考慮しない、他の要素も取り入れたコンテスト」とは、「従来のジェンダー規範に加え、別の規範や判断基準を取り入れたコンテスト」と同じ意味です(例:社会貢献してる才色兼備)。この様に、好ましいジェンダー像とは社会的バックグラウンドや時代により変化します。しかし、こうあるべき像というものが存在し続ける限り、それに苦しませられる人々はいなくなりません。抗議された「こうあるべき」を一つずつ潰していくのではなく、「こうあるべき」を生み出すコンテスト自体を撤廃するべきです。

3.東京大学広告研究会へ

 「考える会」はこれまで、コンテストに関する問題点を指摘し、主催である東京大学広告研究会に話し合いを求めてきました。しかし、広告研究会はいまだに正式な返答をしていません。2020年4月7日号の東大新聞で、広告研究会がコンテスト反対意見に対しての見解を述べています 。

 広告研究会は「日本一の才色兼備を決める」を理念とし、コンテストの目的を以下のように述べています。

・ファイナリストに普段はできないような経験をしてもらうこと

・コンテストの社会的知名度を高め、ファイナリストの影響力を世の中に知ってもらうこと

・広告研究会員自らがいろいろな経験をすること

 要するに、”主催者とファイナリストのための主催者とファイナリストによる大会” ということでしょう。広告研究会の文面から感じられるのは、部外者は介入してくるなという姿勢です。この姿勢はあまりにもコンテストが持つ公共性への意識が欠如しています。上で述べた通り、積極的に参加していない東大生が当事者にさせられている事はもちろんのこと、学祭というオープンな場所でやっている以上、このコンテストが社会に与える影響は計り知れません。

 また、広告研究会側は、「容姿のみを競っているのではない」と述べていますが、そもそも容姿が評価基準に入っていることが問題です。何故なら、コンテストの性質上そこで称讃される容姿は世間で「かわいい」、「かっこいい」とされるものだからです。そもそも容姿は多様に存在するはずのものであり、競わせたり判断されるべきものではありません。

 さらに、コンテストを男女別に開催することに対して広告研究会は、人は「本能的に同性と自分を比較したいものだ」としています。なぜそれが「本能的」だと言えるのかについての根拠は全く示されていません。また、「本能」という説明の仕方には多くの暴力性が含まれています。"母性本能"、"セックスは妊娠するためのものであり、同性間のセックスは本能ではない"、"男の性欲は本能だから抑えられない" といった言説は全て、社会の中で作られてきた性差別的な構造を覆い隠すための言い訳にすぎません。

 また、男女別開催に至った理由も、「性別関係なく競いたい立候補者が少数である」ということですが、これは立候補者に責任をなすりつけているように思えます。本来、コンテストの様式を決めるのは主催者側のはずです。主催者側が決めた様式に対して、立候補者が意義を唱えることはかなり難しいと思います。大多数の人は「本能的に」同性と自分を比較したいのだとしたら、そうでない少数者が異議を唱えることは尚更難しいでしょう。

 以上の通り、このようなコンテストには問題があり、広告研究会の姿勢にも大きな問題があります。「考える会」は、「ミス&ミスター東大コンテスト」の中止を広告研究会に引き続き求めます。

4.駒場祭委員会へ

 ミスコンへの批判はもう何十年もされてきています。駒場祭委員会は、直接的にコンテストを主催してはいないものの、コンテストを企画として過去20年間もの間通してきました。つまり、この企画は自分たちが主催する学祭で毎年行うべきで、そしてこのコンテストへの批判には応答しなくても良いという判断をしてきたということです。これは、駒場祭委員会が性差別についてとってきた立場を如実に表しています。

 私たちは駒場祭委員会に、今まで性差別についてとってきた立場を見直すこと、コンテストについてなされてきた批判について応答すること、そして「ミス&ミスター東大コンテスト」を駒場祭の企画として認めないことを求めます。

5.東京大学へ

 上で述べたような問題点があるコンテストが東京大学で開催され続けていることに関して、東京大学には責任があります。今まで男性、異性愛者、シスジェンダー中心主義を貫き、大学という場を形成し、そしてそこで起きている差別をないことにしてきたのは紛れもなく大学当局です。マイノリティとされる学生が日常的に差別され、ハラスメントを受けていますが、そのような声を大学が十分に聞いてきたという評価は到底できません。教員、学生の大多数も男性によって占められています。東京大学という場で起きている差別の1つの現れ方として、ミスコンが挙げられます。今まで学内で形成され、大学当局が当たり前のように受け入れてきたジェンダー規範に則って行われている企画です。それによってしんどさを抱える学生の声を聞き、コンテストに対して反対の立場を表明することを求めます。

また、コンテストを主催してきた全ての団体や、その開催を無視し続けている全ての大学の当局にも、同じことを呼び掛けたいです。


参考

  「上智大学ソフィアンズコンテスト公式サイト」https://sophians2020.mxcolle.com

「東大ミス・ミスターコン、そろそろ辞めません?」『東京大学新聞』、 2020年4月7日、

電子版https://www.todaishimbun.org/missmister20200408-2/



2020年10月25日

ミスコン&ミスターコンを考える会

連絡先:thinkaboutmissmisterconut@gmail.com

ウェブサイト:bit.ly/3hbjFcd

ミスコン・ミスターコン、そろそろ辞めません?                    2019年11月23日

なぜミス&ミスターコンテストは毎年開催されているのでしょうか?これは、みんなにとって楽しいイベントだからでしょうか?私たちはこのイベントは楽しいとは全く思いません。なぜならこれは、私たちが日々拘束され、傷つけられ、苦しいと感じている規範(社会に存在しているルール)を楽しいこととして演出し、こともあろうか誰がキャンパスで一番その「規範」に一致しているかを決める企画だからです。

「女性(として扱われる人)」は日々、どれだけ「美しいか」、を基準に評価されています。私たちは「あの子はかわいい」、「あいつはブスだから」という発言を耳にし、あらゆるところで「外見に気をつけろ」というメッセージをぶつけられています。外見だけではなく、振る舞いについてもです。「男を立てろ」「清楚であれ」「余計なことは言うな」等々。そしてそれに異を唱えると、「余計な発言はするな」「感情的だ」と言われます。

ミスコンはまさに、この社会に存在している圧力を象徴しています。ファイナリストは投票の開始から最後まで、容姿に基づいて評価されます。それ以外にも、いかにSNSで投票者の要望に応え、「規範」に沿っているかが注目されます。

ミスコンがその企画に触れる人に押し付けている「規範」は、「女性はこうあるべき」というものだけではありません。そもそも、「ミス」と「ミスター」に分けて開催するということは、社会の中の全ての人がその2つに簡単に分けられるということを前提としています。結果発表の際にはファイナリストが「男女」のペアーでウェディングドレスを着て壇上に上がりますが、これも私たちは異性愛者で、結婚をするのが普通だ、というメッセージを発しています。

この企画、そしてそれが強調している「性にまつわる規範」に私たちが特に注目する理由は、それが圧倒的な非対称性の中で作られたものだからです。社会の中でより力を持つ「マジョリティ」が、「マイノリティ」の振る舞いについて勝手に決めたものだからです。私たちはミス&ミスターコンテストの開催の中止、そしてそれが前提としている規範の解体を望みます。

Why is the Miss & Mr. Contest held every year? Is it because this contest is fun for everyone? At least we don’t find the contest amusing at all. Since the contest bases itself innocently on the norms that restrain and abuses us on a daily basis, aiming to decide who fits “norms” the best.

“Women (meaning people who are treated as women)”, are evaluated by a standard of how “Beautiful” they are on a daily basis. We often hear remarks like “Who is cute” and “Who is ugly”. And constantly encounter messages that order women to “Be aware of their appearance”. Not only does this apply to appearance but to behaviors as well. Messages such as “Be humble”, “Be naive” and so on. And when women argue with it, they will be oppressed by narratives like “Don’t say silly stuffs” or, criticized for being “Emotional”.

Miss and Mr. contest is a representation of the oppressions existing today. Finalists are judged based on their appearances throughout the process. Furthermore, meeting the wishes of the audience, who also contribute to the reproduction of the norms, is a big factor for the result of the vote. The norms that Miss and Mr. contest compel to people is not affecting only women. The fact that this event is holding two contests, Miss and Mr., is based on short-sighted understanding that it is possible to classify every individual into two items. When the result of the contest is announced, the finalists of Miss and Mr. contest go on the stage as a “pair”, the Misses wearing wedding dress. This presentation also gives out the message that we are expected to be heterosexual, wanting to get married.

The reason why we focus especially on this event and the “norms related to gender” is because these norms have been created through a huge asymmetry within the society. The “majority” who has a lot more social power, have decided, in their favor, about the way in which the “minority” have to behave. We hope to destroy Miss & Mr. Contest, and to break down the norms that the contest bases on.